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医学者「洪庵」

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管理人:ミホノコウアン
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将軍家の侍医

足守藩木下候の侍医であるものの、実質的には町医者であり自由人であった洪庵ですが、文久二年八月、将軍家の侍医(奥医師)に任命されます。
さらに翌月には「西洋医学所頭取」にも任ぜられています。

この2つの公的な勤務は、洪庵に多大な経済的負担とストレスを与えたようです。

特に、金銭的な出費については、当時の門下生に送った手紙の中で、

「案外なるは金子の費仰山なることなり」

と書いていますし、息子の洪哉に送った手紙の中では「家来を召し抱え、着物も今までのものでは合わないので新調し、大阪から江戸への引っ越し費用もかかるし、江戸で住む住居も新築しなくてはならない。とても今までの貯えでは足りず、身分は高いが大貧乏人になってしまった・・・。」というようなことを書いています。

将軍家の侍医ですから、その地位や身分は相当なものであり、大変な名誉ではありますが、その特殊な伝統・因習にがんじがらめの社会では何かにつけて金銭の出費が多く、あれやこれやで千両以上はかかったと推測されています。

洪庵は奥医師(将軍家侍医)就任後1年とたたずに喀血し、急死してしまうのですが、もともと病弱だったとはいえ、どう考えてもこのことによるストレスが、洪庵の寿命を縮める要因のひとつになったといえるのではないでしょうか。


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