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管理人:ミホノコウアン
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洪庵とコレラ

コレラが日本に入ってきたのは1822年(文政5年)といわれています。この当時は主に西日本で流行し被害を出しました。このとき洪庵は12歳です。
その後数十年たった安政5年6月頃、長崎で再びコレラが発生しました。そしてその時のコレラは長崎だけにとどまらず、大阪や江戸まで広まり、大変な猛威をふるいました。

ちなみに、確かな記録は残っていませんが、一説には、このときの江戸の死亡者は数万人とも数十万人ともいわれています。

この病気にかかると、人々はなすすべもなく亡くなっていきます。大変な恐怖ですが、医者にしてもそれは同じで、いったいどう対処していいのか、有効な治療法は何なのか、全くわからず困り果てていました。

この事態にいち早く対応していたのが当時長崎に来ていたオランダ人のポンペという教師です。西洋式医学校を始めていた彼は、コレラ対策としてキニーネを使った治療法を用いました。キニーネとはキナという木の樹皮からとれる抽出物で、ヨーロッパから長崎に入ってきていました。

また、洪庵の訳書「扶氏経験遺訓」にもコレラについての記述があり、当時の医者たちは参考にしていたようですが、その内容がポンペの治療法とはあまりに違っていたので相当に戸惑ったようです。

結局、実際の治療法として実践されていたポンぺの治療法を採用する医者が多かったのですが、この治療法はキニーネという限られた物質を使用するためにキニーネが全く間に合わないという事態にすぐなってしまいました。

こういった状態を見かねた洪庵は、「モスト」・「カンスタット」・「コンラジ」という3つの書物から、コレラについて書かれている部分を訳しまとめ上げ、「虎狼痢治準」として8月に百部刊行、無料で配布しました。

洪庵はこの「虎狼痢治準」をできるだけ早くまとめあげようと、昼はコレラの患者を診て、夜は寝る間を惜しんで執筆活動にいそしみました。もともとあまり丈夫ではなかったために過労におちいり、しばらく診療ができなくなったほどです。

また、洪庵は「虎狼痢治準」とは別に、医者のために「家塾虎狼痢治則」というタイトルで治療法を簡潔に記したものを書いています。急いで書き上げられた「虎狼痢治準」は内容的に反論をされる部分もあり、この本を批判する者もいましたが、洪庵の心は患者を救うことに向けられていました。


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