修業時代

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洪庵の著作

医学者「洪庵」

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管理人:ミホノコウアン
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修業時代(大阪〜江戸)

大阪の天游の門下生となった洪庵は、熱心に、そして貪欲に日々勉強に励みました。天游の元で結局4年間、学を重ねるわけですが、この4年間の間に当時読むことができた訳書の類はほぼすべて読破していたそうです。

こうした勉強熱心な洪庵を天游もことのほか可愛がり、やがては江戸に出てさらなる勉強をしなさいと勧めるようになりました。
洪庵も天游の助言を素直に受け入れ、1830年、江戸に向けて旅立ちました。洪庵21歳の時のことです。

彼は江戸へ行く途中に立ち寄った村で学問を教えるなどして資金を稼いだとの記録が残っており、江戸で落ち着くまでに少々時間を要したようですが、1831年2月、江戸に落ち着いた洪庵は、江戸の蘭医学の大御所的な存在であった坪井信道に師事しました。

坪井信道の元での生活は修業の身ということもあり困窮した生活ぶりであったようですが、洪庵は按摩などのアルバイトもこなして学費をねん出していました。

この坪井信道の元での修行中も非常に熱心に勉学に励み、師である坪井信道もそんな洪庵が気に入ったのか、自分の着物を与えるなどして支援していたそうです。

洪庵は坪井信道の元でも4年間の修行をして塾頭にまでなるわけですが、この修行をすることで「まるで目の前にあった膜のようなものがとれ、かゆい所に手が届くような感じになった。」と述べています。

また、師である信道のすすめもあって、洪庵は薬品の勉強にも取り組みました。
信道の紹介で洪庵が教えを請うたのは宇田川棒斎という、杉田玄白の教え子にして信道の師でもある蘭学の大家です。
ちなみに、棒斎は、杉田玄白の蘭学事始にも出てくる有名人です。

洪庵は、信道や棒斎の元で学ぶ傍ら、彼らから翻訳や編述の仕事も頼まれており、この時期に洪庵が手がけた書物の中には、以降、広く読まれることになる本もいくつか含まれています。


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