修業時代

適塾

洪庵の著作

医学者「洪庵」

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管理人:ミホノコウアン
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修業時代(長崎)

洪庵は1836年2月、蘭学をさらに学ぶため、洪庵は天游の子である耕介を連れて長崎へと旅立ちました。
そしてこのとき、緒方洪庵という名に改めます。27歳のときでした。

長崎にいたころの洪庵の記録はあまり残ってないためにどんな人についてどんな勉強をしたのか、詳細は不明ですが、洪庵は長崎にいたときに「袖珍内外方叢」という薬剤書を翻訳したことが分かっています。
一説によるとオランダ人医師ニーマンについて蘭医学を学んだということですが、これは洪庵が長崎に赴いたときにオランダ人医師は誰もいなかったという史実を指摘する向きもあり、定かではありません。
洪庵は結局長崎で2年間勉強し、1838年、大阪へ戻る決心をします。途中、故郷である足守で2ヶ月間の休養を取ったのち、いよいよ大阪にもどって医者として開業する傍ら、蘭学を教える蘭学塾を開きます。

これが有名な適塾(適々塾・適々斎塾)です。

さらに、この年、同じ天游門下生であった億川百記という医者の娘をめとり、まさに人生の出発点にたったのです。 洪庵29歳の時でした。


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