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管理人:ミホノコウアン
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洪庵の種痘事業

医学者としての洪庵の最も評価される偉業であり、洪庵自身が長年にわたり最も力を尽くしたのが種痘事業です。
今でこそ先進国では天然痘は見られなくなりましたが、当時は死亡にいたる確率が非常に高く、仮に助かっても顔に醜いかさぶたの跡が残る恐い病気でした。

ヨーロッパや中国などでは既に人に天然痘の種を弱小化したものを植え付ける人痘種痘法という予防法があり、うまくいった時の効果は相当なものだったのですが、反面、人に直接天然痘の種を植えるわけですから本当に天然痘にかかってしまうというリスクも高く、この手法を採るのは大きな賭けでもありました。

しかし、1796年にイギリスのジェンナーが、人ではなく牛を介して採取した天然痘の種を人に植えるとリスクがなく、かつ強い免疫ができるということを発見(牛痘種痘法)してからは、この方法が世界的な支持を得るようになり、やがて日本にも本や種が入ってくるようになりました。種は長崎や北海道経由のルートが早かったようです。

が、この方法には問題もありました。
種を絶やさないようにするのが大変だったのです。

保存方法が確立していなかった当時、種を絶やさないようにするには、人から人へ種を植え継いでいくしかなく、常に誰かが種のついたかさぶたができた状態でいないとだめだったわけです。
洪庵は、当時この方法の確立に一方ならぬ苦心をしていた笠原白翁から種を譲り受け、大阪に除痘館を開きました。

しかし、この牛痘種痘法は最初こそ医者たちの間で一気に広まりましたが、その後「害ばかりで益がない」と根も葉もない噂が立てられ、やがては誰にも見向きもされなくなってしまいました。洪庵らはチラシを配るなどして普及に努めたと研究家らの記録には記されています。

洪庵らの地道な活動と努力が実って、安政5年4月、大阪除痘館に官許がおりました。江戸をはじめとする全国に先駆けてです。官許が下りるということは、政府(幕府)が公認したということであり、種痘という行為が金儲けなどに利用されたり、医者では無い人間に扱われ悪用されることが実質的に規制されるということを指します。
牛痘種痘法の健全な発展を願う洪庵にとってはまさにこの上ない喜びであったことでしょう。

こうして、洪庵の種痘事業はさらなる発展を遂げていったのでした。


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